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沿革 – 60年にわたるフィジーへの就航

創業者、De Havilland Dragon

1951年9月1日、7座席のDe Havilland Dragon Rapideが、フィジーのナウソリ空港から、本島の西海岸にある、ラウトカ近くのドラサ空港に向かって飛び立ちました。 この最初の商用飛行が、現在真に国際化した、フィジーの航空会社の出発点といえます。 フィジーエアウェイズは、その国内/地域子会社であるパシフィックサンと共に、世界の10ヶ国の約15都市に向けて週に400回以上飛行しています。
フィジーエアウェイズは、世界の航空業界のどの航空会社も免れることができない様々な難題に挑戦し、各種のテストに見事に合格して、フィジーへの就航とフィジー経済への大きな貢献という二重の役割をしっかりと果たしてきました。

Harold George Gatty

Harold George Gattyは、オーストラリア、タスマニア州のキャンベルタウンでイギリス人の両親のもとに1903年1月5日に生まれ、第二次世界大戦後フィジーに来て定住しました。 彼は大戦前にパンアメリカン航空のオーストラレーシア担当としてオークランドに駐在してため、この島国には馴染みがありました。 大戦中には米国の陸軍航空隊に参加し、最初はジャワ島で軍務に就き、その後ブリスベンの陸軍元帥Douglas McArthurの司令部に移り、続いてニューギニアへ移っています。 この大戦の終わり頃に、彼はオークランドのパンアメリカンの仕事に戻り、その数年後にフィジーに移り、定住しています。 フィジーでは、東部群島にあるKatafagaという島を買い、その島をココナツ農園に変えました。 パンアメリカンで仕事をする前は、米国の航空管制で名を上げています。 Australian Naval Collegeで士官候補生として習得した高い船舶ナビゲーション技能を使い、Gattyはパイロットのためのナビゲーションシステムを発明しました。

いわゆる「ウィームズカーブ (Weems Curves)」と組み合わせ、Gattyは画期的な対地速度/偏流計を発明しました。 この発明により、推測航法によるナビゲーションが可能となり、太陽または星からの角度を計測する必要がなくなりました。これは、現在、ほとんどの民間航空機と軍用機に標準機器として使用されている自動操縦装置のはしりです。

カナダ人のパイロット

1930年9月に、カナダ人のパイロット、Harold Bromley中尉は、日本の本州から太平洋を渡って米国ワシントン州のタコマへ飛行するために、彼の航法士として同乗するようにGattyを誘いました。この時、Gattyは彼を国際的に有名にした自分の発明を使用する必要に迫られました。 1,900 km飛んだところで、燃料タンクの問題のために本州に引き返さなければならなくなったのです。濃い霧にもかかわらず、Gattyは推測航法で飛行機のかじをとり、2人は出発した場所へ戻ったそうです。

1931年に石油掘削作業者やスタントマンとして働いていた先住アメリカ人、Wiley Postが8日間で世界一周飛行をした時にも同様のことが起きました。 GattyはPostの航法士を務め、その功績で2人の飛行士はニューヨーク市で紙吹雪の舞う歓迎を受けました。 米国の連邦議会は、Gattyに英国市民として「殊勲飛行十字章 (Distinguished Flying Cross)」を与えました。 この栄誉にもかかわらず、Gattyはアメリカ市民になることを辞退したと伝えられています。 ほどなく、彼はパンアメリカン航空のオークランド担当に任命されて太平洋に移り、続いてフィジーに移りました。

Gattyは、フィジーの国内線を操業する提案書をフィジーに送り、その後植民地政府にも送った後、その会社をカタファガエステート (Katafaga Estates) という名前で登録しました。 最初の商用飛行は1951年9月1日でした。 Gattyは1958年8月30日に亡くなりましたが、彼の勇敢で先見の明のあるイニシアチブは高みへと至り、今日、フィジーの航空史にその足跡が刻まれています。

 

エアパシフィック

過去

様々なことが起きたこの60年ですが、エアパシフィックもまた、地方分権主義における試みとしてほぼ成功したものの1つです。 1970年代の初頭まで、エアパシフィックの株は、太平洋の最大7つの島国政府 (そのうちのいくつかはまだ英国の植民地支配下に置かれていました) によって保有されていました。 このほか、カンタス、ニュージーランドのTEAL (ニュージーランド航空の前身)、および英国海外航空 (英国航空の前身) による保有もありました。 しかし、この航空会社の主要株主としてフィジーを残して他の政府が立ち去り、地域航空会社という着想は立ち消えになりました。

小さな航空会社のために、フィジーエアウェイズはその実力ではかなわない相手と常に張り合ってきたのです。 1980年代初頭、エアパシフィックはカンタスと一緒にコードシェア (共同運航) というコンセプトを開拓しました。 今日、コードシェアは世界中で受け入れられている航空慣行です。 1995年1月25日もまたはフィジーの航空会社にとり重大な分岐点となった日です。この日、当社はかつてのロイヤルトンガ航空との航空機の共同リースという先駆的なコンセプトに着手しました。 このコンセプトは、ボーイング737-300機の半分ずつが航空会社2社によってカラーリングされるという方法で完了しました。

功労者への感謝

フィジーの国際航空会社が今日ここまで到達するまでには多くの人々の助けがあったことは言うまでもありません。 航空史の初期に太平洋に浮かぶ島から飛行機を飛ばせた勇敢な先駆者や先見者がいました。そして今、この会社を世界で最もフレンドリーな航空会社にするためにバリバリ働くひたむきで熱心な何百人ものフィジーの人々がいます。この人々に対する私たちの感謝の気持ちを言葉では十分に表現できません。
事業役員を退いた後この航空会社の会長を長く務めたGerald Barrackは、数年前、Gattyのビジョンと、「パイロットが自分の経験と勘を頼りにDragon RapideやDroverなどを飛ばせた時代から現在までの」Gattyのような開拓者精神を持った人々に敬意を表しました。 乗客がRapide機に乗り、パイロットがいないことに気付いたような日々には、明るいブラ (花柄) シャツを着た男性が飛行機の操縦を無償でやっていました。 明るいシャツを着ていつものように悪ふざけをしていた男性は実はGattyの最初のチーフパイロットを務めたFred Laddだったのですが、乗客はそのことに少しでも気付いたでしょうか?!

60周年記念祭

「エアパシフィック」が60周年記念祭を迎えたときに参加を招待されたかつての最高経営責任者、John Campbellは、この航空会社を築いた人々は会社にとって誇りの源だと言っています。 太平洋にある小さな国で幅広いネットワークを利用して信頼される航空会社を運営するのは容易ではありません。 大きな市場をベースにしている航空会社が直面しない、ロジスティック、トレーニング、予備部品の在庫、技能の維持、開発といった問題が存在します。 この航空会社がこれらの障壁を乗り越えて60周年記念祭を迎えたことは会社に関わってきた人々の手柄であり、彼らの献身と多くの個人的犠牲の証しでもあります。

「フィジーの人々は自分たちの航空会社の成功に誇りを持っていいですよ。この航空会社がフィジーと世界を結ぶ重要な懸け橋であることは間違いありません。この航空会社はこれまでフィジーの航空ニーズに徹底的に取り組んでいますし、今後もこの尽力は続くことでしょう。 この航空会社を設立した時にHarold Gattyが望んだことはこれでしょうね。」
60歳の誕生日の祝いで、当時業務執行役員兼最高経営責任者であったDave Pfliegerは、前任者と同席しながら、Harold Gattyのビジョンと、エアパシフィックをワールドクラスの国際航空会社に育てあげたフィジーの人々をこのように称賛しました。

「エアパシフィックの最大の財産は社員ですよ。整備員や地上勤務員もいれば、パイロットや客室乗務員もいますし、スケジュール設定者、管理スタッフなどもいます」。Pflieger氏は、フィジー諸島の雑誌にこのように話しています。 「社員が今もたらしている変化や改善は、次の60年間、フィジーとフィジーの人々に役立つんですよ。 みんな新たな競争や絶え間なく変化する世界がもたらす困難にうまく対処しており、心強い遺産を生み出してくれています。 ここにいるみんなと一緒に働けるのは名誉なことです。」

現在

高く評価された航法士で、航空会社のマネージャー、農場主、国会議員などの顔も併せ持った人物によって創立された航空会社、フィジーエアウェイズは、フィジーを代表する航空会社へと成長しました。 かつてDe Havilland Dragon Rapideで飛んでいたものが、今日では新型のエアバス330-200ジェットになりましたから、大きく成長したと言えるでしょう。 フィジーエアウェイズはこの地域での確固たる地位を築いており、この地域におけるトップクラスの航空会社としてしばしばランクインしています。

役割を強化するフィジーエアウェイズ

2012年5月、当社はフィジーが誇る国営航空会社としての役割を強化するため、フィジーエアウェイズという名前に戻すことを発表しました。 フィジーエアウェイズは、最新のエアバスA330-200機とフレンドリーで暖かいフィジー様式のサービスを提供し、フィジー諸島を世界に繋ぎ、フィジーへの訪問者を誇りを持って迎えます。
当社は、自信を持ってそのルーツであるフィジーエアウェイズに戻り、当社の歴史における胸躍る新たな章に乗り出しました。

関連情報

 

次に、ご参考になると思われる情報を示します。

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